三鷹市 派遣看護師

ステルベンが続いた時の気持ち

看護師駆け出しのころは、総合病院の内科にいて、癌患者さんも多かったので、ステルベンに立ち会うことが多かったです。患者さんの最後を迎えた時の悲しみは大きく、深い悲しみの中にいる患者さんのご家族を目の当たりにして、とても辛かったです。特に、深夜のステルベンの場合、すぐに霊柩車が来ない時は、地下にある霊安室に患者さんを運ばなければならず、その部屋は病室よりずっと冷たい感じがして、そのことをご家族に伝えることもとても辛かったです。また亡くなる前というのは、何度も何度もナースコールがなって、そのたびに、かけつけて、となることも多く、精神的な負担も大きく、帰宅すると涙が止まらなかったりしました。でも、学生時代の友達で、医者になった友達に、慣れない自分が嫌だ、最期を待っている自分も嫌なんだ、という話をしたら、彼は「待って良いんだよ。そして、自分が出来る限りの思いを尽くして、患者さんに接することは患者さんにも必ず伝わるんだよ。僕も自分が担当している患者が危篤になると、何度も何度もかけつけるんだよ。なぜかけつけるかというと、患者さん一人で行かせるものか、僕一人でも見送るんだ、という思いなんだよ。」と言ってくれました。その人の人生の最期の瞬間をしっかりと見届けるということも、とても大切な仕事だと思いました。忘れられないことがあります。ベテランドクターがずっと診ていたのですが、終末期になったときに、若手ドクターにバトンタッチしました。ご家族は見放されたように思われ、とても落胆されたようでした。でも、最期の死亡確認をするとき、若手ドクターのライトを持った手が震えていたんです。顔は平静な様子でしたが、初めての死亡確認で、ドクターも緊張大きかったのだと思います。声も震えていました。息子さんを亡くされたご高齢のお母様が「あの先生に看取ってもらえて本当に良かった。」と言ってくださったんです。慣れていない自分達だからこそ、ご家族と同じような悲しみを持っていることが伝わるのだと思いました。そして、たとえ経験年数を積んでも、その慣れなかった頃の思いを忘れず、患者さんの最期に立ち会う者として、しっかり心を込めて仕事をしていきたいと思いました。

終末期の患者さんと接する時の心構え

終末期を迎える患者さんは、自分の人生の最期を迎えることを静かに受け入れている患者さんもいれば、不安が募り、特に痛みが強いと恐怖に満ちた思いになり、涙にくれる思いになられる方もいます。そして、その方の周りにいるご家族のお気持ちも想像を超えるものがあります。看護師として何が出来るのか、いつも自問自答していた頃がありました。新人の頃は、患者さんの死と立ち会うたびに、涙が止まらず、頭から患者さんのことが消えず、でも、笑顔でいつも通り仕事をしていかなければならないことに葛藤したこともありました。今は介護施設の看護師をしているので、総合病院で経験したような終末期ではなく、その方の生活を最後までより良いものにすることに力を入れることが出来ているように思います。病院であれば、出来る限りの治療を施し、となるので、時には人工呼吸器をつけるかどうかで家族がもめてしまうケースに出会うこともありました。でも、介護施設の場合は、ご家族もとにかく自然な形で最期を迎えてあげたい、という思いを持っていらっしゃる方が多いので、出来るだけ負担の少ない、自然な死を迎えらえるように、ケアしていきます。苦痛を和らげること、食べられるものを食べられるだけ、そういうケアをしていくと、その方の表情も柔らかいまま、まさに眠るように人生を終えられていくように思います。そして、何よりも、この世での人生を終えられる方に敬意を持って接するようにしています。考えてみれば、死を迎えるというのは、どんな人も避けられない、必ずあるもので、介護施設はその昔、人が家で生まれて、家で亡くなっていったように、安心して最期を迎えてもらうように努めていける場でもあるように思っています。